その季節や時間帯に相応しい、そして基本的なアーサナ(ポーズ)を主とし、ゆったり流れるような動きの中で、呼吸との連動の仕方やご自分の内側にフォーカスを促すようガイドし、体と心を整えることは勿論、アーサナ・ヨーガの重要な役割である自分が自分に寛ぐ(くつろぐ)体験や、それらを深めていただけるようお手伝いをしていきます。ご参加の方の様子を見ながら進めていきます。
ヨガのクラスに参加してみると、サンスクリット語でチャンティングをしたり、何だか、単なるエクササイズというだけでは無さそうだけど。。。それに、ヨガと言ったりヨーガと言ったり。。。
ヨーガって、何だろう?
ヨーガというライフスタイルとそのゴール、ヴェーダーンタの宇宙観を学び、深めていく為の場として「チャイタイム」があります。
スワミ ダヤーナンダジ(Swami Dayananda Saraswati)が52話をかけて語られたインドのテレビ番組「SUPIRITUAL HERITAGE OF INDIA」があります。スワミ チェータナーナンダジ(Swami Cetanananda Saraswati)が日本語に翻訳をしたその番組から31の大切な言葉を選んでつくられた「スワミジカレンダー」を使って、お話やディスカッションをしていきます。
以下に、その一部をご紹介します
生きとし生けるものにあるこの願いを、人間は知っています。だからこそ、自由意志が与えられている人間には、「何が良い行いで、何が良くない行いなのか」の知識も生まれながらに与えられているのです。教えてもらっていないので知らなかったとは言えません。例外なく全ての人の心に現れている普遍の知識なのです。私がその内なる私の声と調和の行いを選ぶとき、喜びがあり、自己尊厳や成功感覚が現れます。良くない行いを選ぶとき、内なる声の私と、それを無視した私の分裂が起こります。この分裂がある限り、私が私を認められません。本当のことを言うなら、内なる声はイーシュワラの声なのです。自己否定の感覚は、いつも、イーシュワラとの分裂を教えてくれているのです。ですから私たちの文化では、イーシュワラとの調和もダルマと呼ばれ、普遍の知識の大きな価値を理解する成熟でかなう人のゴールとして知られています。
ダルマは宇宙の秩序です。宇宙全体に法則の姿で行き渡り、宇宙の秩序を守っている人、イーシュワラの姿をダルマと呼びます。あなたがあなた自身と摩擦しないで、他の誰かと摩擦するなんて出来ません。それが摩擦の真実です。それを確かめるなら、Tシャツを脱いで木の幹に背中を擦り付けてみることです。あなたが木を擦っているとき、あなたが擦られているというのが法則なのです。作用と反作用は等しいのです。同じように、あなたは自分を傷つけずに誰かを傷つけることなどできません。あなたがダルマに摩擦するなら、その過程であなたが摩擦を受けるでしょう。反対に「あなたがダルマを守るとき、ダルマがあなたを守ります」と言い伝えられてきた教えは本当です。これがダルマの法則なのです。
母の日や父の日に、お母さんやお父さんとの関係を特別にハイライトするのと同じように、イーシュワラとの関係を特別にハイライトするのがプージャーや瞑想です。ちょうど樹がすでに森と関わっているように、波が海と関わっているように、個人とイーシュワラの関わりはすでにあります。瞑想する人、デャーターは、イーシュワラとの関係だけを考えでハイライトすることで、私は彼の妻、私はこの子の母親、私はこの母の娘など、他の人と関わるための見方、役割観念を落としている人ですから、ベーシック・パーソンとも呼ばれます。その人は、イーシュワラだけとの途切れたことの無い深い愛の関わりに、くつろいでいる人で、変わることのない「私」なのです。
たとえあなたが貧しくても、あなたは与える人であり得ます。裕福であり得ます。与えるものがないわけではないのに与えられないとき、あなたは貧しい人です。与えることは、内側の強さ、アートマ・バラムを汲み上げる練習です。内側の強さを結集させた時、自由意志は、妄想のプレッシャーによって生まれた願望から自由を得ます。願望は私に噛みつく歯を失います。私を欺く力を失います。私がご主人として自由意志を使う操縦席に座る人です。私たちの文化は、富などを軽視していません。富を通して人の内側の成長を大切にしている文化なのです。あなたを犠牲にした富はありません。与える行為は、あなたの内側の強さを汲み上げ、ダルマに反して進もうとする願望の力を緩めるものです。ですから、プールタ・カルマ(与える行為)は、あなたを助けるのです。